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慰安旅行で言った「ナイタイ高原」の思い出

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もう20年以上前ですが、会社の慰安旅行で「ナイタイ高原」に行きました。今では会社の慰安旅行は予算削減のため無くなってしまいましたが、若い人と話すなかで昔のことを思い出したので、懐かしい思い出を紐解いていこうと思います。

新入社員当時の慰安旅行

学校を卒業した社会人1年目の年、慰安旅行と言うものに初めて行きました。会社が一人当たり幾らかの補助金を出し、不足分は各人が負担していました。その頃はまだバブル景気の余韻のようなものがあり、それなりの金額が補助されていたようですが、新入社員だった僕は一体どれだけの補助が出ていたのかはよく分かっていませんでした。

慰安旅行のコース

実際の計画は職場の先輩が幹事になって、宿泊先から移動方法、途中の食事や観光などを決めていました。事前にある程度行き先などをリサーチして決めていたようです。

当時は砂川に勤務していたので、朝砂川を出発して十勝の池田ワイン城で昼食と観光、夕方には十勝川温泉のホテルでお風呂と宴会を堪能し、翌日は十勝をドライブしながらナイタイ牧場のレストハウスで昼食、その後層雲峡を経由して砂川に帰ると言うコースでした。移動距離は結構ありましたが、貸切バスだったのでのんびり風景を楽しんだり居眠りをしたりしながらの移動でした。

「ナイタイ高原」とは

レストハウスは上士幌町上音更85番地2にありますが、周囲は日本一広い公共牧場になっています。この慰安旅行に言ったので知っていますが、当時の僕は「ナイタイ高原ってどこにあるんだろう?」と言う感じで、もしこの時違う場所にいっていれば、今でも知らなかった可能性があります。

ここは高原と言われる通り山になっていて、その山全体が牧場になっています。その頂上にレストハウスがあって食事を楽しむことができます。

けれど、このレストハウスは平成27年10月の強風被害で建物が全壊となったため休業中だったそうですが、今年のゴールデンウィークから仮設のプレハブで営業を開始したそうです。

壊れる前は大きな三角屋根の建物で、レストハウスの前には本物のトラクターがディスプレイされていました。

レストハウスへの道のり

麓から頂上のレストハウスまでは、当時車一台分の幅しかない道を、くねくね曲がりながら登って行きました。道路以外は牧草地帯になっていて、ところどころに放牧されている牛の姿が見えていました。

この牧場の中の走っている道路は「牛優先」になっていて、牛が道路を横断している間は車が停止して待たなければなりません。実際に僕たちの乗った貸切バスは、牛の集団が横断し終わるまで5分以上待っていました。

レストハウスにて

ここでは昼食に焼肉を食べました。それまで何度か焼肉屋さんに行ったことがありましたが、町の焼肉屋さんよりも美味しくて感動した覚えがあります。とても柔らかい肉で脂が多すぎず、若くて食べざかりだった当時の僕なら幾らでも食べることができそうでした。その上周りの景色や雰囲気のおかげで、より一層美味しかったと思います。

今でも肉類は牛、豚、鶏と何でも好きですが、20代のころに比べると胃もたれしてきて、肉をたくさん食べることができなくなってきています。

まとめ

あれから20数年、その後に一度も行くことなく今に至っています。何度か行ってみようと思いましたが、焼肉を食べるためだけに一人で数時間運転しなければならないこととか、転勤してさらに距離が遠くなったりして、なかなか行けませんでした。今なら多少遠くても奥さんと二人で行ってみようと思いますが、さすがに函館方面からでは遠すぎるので、もう少し近くに転勤してから行ってみようと思います。その頃には仮設のプレハブから、元通りの姿になっている事を祈っています。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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