まだ景気の良かった20数年前、慰安旅行で仙台と男鹿半島に行きました。慰安旅行は人数や距離の大小を問わず何度も行ってきましたが、その中でもベスト3に入るくらい出だしで失敗した旅でした。いつもは道内の話しですが、番外編として今回は道外の話しをしようと思います。
旅の予定
例年慰安旅行は1泊2日ですが、この時は本州と言うことで2泊3日の行程となりました。初日は千歳から仙台へ飛行機で移動して仙台で1泊、2日目は秋田の男鹿半島まで観光バスで移動して1泊、最終日は路線バスで秋田空港に向かい千歳経由で帰宅という予定でした。
初日
出発前
この時の慰安旅行の幹事は僕と先輩の2人で、交通機関やホテルの各種予約は先輩、当日の会計は僕と分担することにしました。けれど10人近い人数の道外旅行2泊分の会費となれば大金で、何かあってはいけないと2人で半分ずつ分けて持って行くようにしました。
そして当日朝、集合時間になっても相棒幹事の先輩が姿を現しません。部屋を覗いてみると、驚いたことに先輩はまだ眠っていました。慌てて起こし、慌てて支度し、慌てて出発して、何とかバスと飛行機に間に合うことができました。
仙台のホテルで
先輩の寝坊はありましたがバス、JR、飛行機と乗り遅れることなく無事に仙台に到着、仙台駅近くのホテルにチェックインしました。
夜の宴会まで時間があったので、この後の予定を確認しようと先輩幹事の部屋に行きました。そこで夜と翌日の予定を確認し、今まで使ったお金と残金を確認しようとしたところで大問題が発生しました。先輩幹事が会費の半分を忘れてきたのです。10数万円を北海道に置き去りにしてきたことで、2人とも青くなりました。慌ててホテルのフロントに行き、近くの銀行と郵便局の場所を教えてもらい、2人の貯金をおろして会費の不足分を立て替えることにしました。
宴会
夜はホテルからあまり離れていない場所にある居酒屋さんに行ったと記憶しています。そこで生まれて初めて馬刺しを食べました。見た目は少し色が濃くて脂もありました。食べてみるとくせは無かったのですが、少し脂っこく感じました。
その後メインで「きりたんぽ鍋」を食べましたが、しょうゆベースのスープに野菜やキノコなどがたっぷり入っていて、そこにきりたんぽが入っていました。きりたんぽは潰したご飯を串に巻きつけたもので、とても美味しくいただきました。いつもの鍋のつもりで最後の締めにご飯を頼んで雑炊にしましたが、良く考えるとご飯とご飯が入った鍋と言う究極の炭水化物鍋となっていました。
馬刺しもきりたんぽ鍋も仙台名物ではないと知ったのは、その後随分経ってからでした。今なら迷わず牛たんを食べに行くと思います。
2日目
男鹿半島までの移動
この日は早めの出発となりました。仙台駅から出ている秋田行きの観光バスに乗って、男鹿半島にあるホテルに向かうためです。この観光バスは特に予約がなくても、当日切符を買えば乗れるものだったので特別な手続きが必要なく、幹事としては楽でした。
女性のバスガイドさんが同乗していて、途中の観光名所の案内もしてくれて、まるで旅行会社のツアーに参加しているような雰囲気でしたが、ツアーより低価格で楽しむことができました。他のお客さんは数人だったので、ほとんど貸切のような状態でした。
ホテルにて
観光バスは秋田市内まで行くのですが、我々の目的地は男鹿半島にあるホテルなので途中下車になります。ホテルがバスのルートに入っているので、そこで下車してホテルにチェックインとなります。
この日の夕食はホテルの宴会場で名物の「石焼き料理」を頂きました。水を張った木おけに野菜と魚(この時はぶり)などを入れ、そこに焼いた石を入れます。すると瞬時に水が沸騰して、野菜や魚に火が入ります。仕上げに味噌を溶いて出来上がりとなり、みんなに取り分けてくれます。味も美味しく調理するところも目で楽しめる料理でした。
そしてもう一つ、秋田名物「なまはげ」もやってきて、宴を盛り上げてくれました。僕自身はなまはげに対してトラウマがあるので(詳しくはこちら)ギョッとしましたが、他のみんなは楽しんでいました。
最終日
ホテルからは路線バスに乗って秋田空港まで移動しました。移動の途中、国道を走っているのにバスが沿線の家の屋根に接触しそうになっていたのには驚き、本州の道路は道幅が狭いと言うことを印象付けられました。
その後は何事もなく、秋田空港から千歳空港を経由して、全員無事帰宅することができました。
まとめ
今回は番外編と言うことで、道外に行った慰安旅行の話しをお送りしました。随分前のことなので、記憶の曖昧なところや古い情報もあると思いますが楽しんでいただけたら幸いです。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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